地酒道楽 JIZAKE-VAN SERVICE 400銘柄以上の地酒を皆様にお届けします

社長ぶろぐ (2007年05月)

2007年05月01日

大型連休

このブログを読まれている皆さんは、大型連休をいかにお過ごしでしょうか。 
 
最近は、全国のショッピングセンターが年中無休で営業されており、ご家族そろって買い物に出掛けられる方も多いことと思います。 
 
しかし、その反面、ショッピングセンターと取引きをされている各卸会社さんでは、それに併せて、休むとこなく配送センターを稼動させていらっしゃいます。 
今日明日を除いた4月28日から5月6日までの間、お休みをいただいている弊社としては、誠に申し訳ないと思っております。 
 
そんな中、世の中が休みになると、何もすることがなくなってしまう私は、誰もいない事務所で、普段腰を据えて出来ないことを処理することが多くなります。 
とにかくじっとしていることが苦手な私にとって、休日の過ごし方は、本当に難しいことなのです。 
 
お金に余裕ある人たちは、海外旅行に出掛けたりしたりしているようですが、子供の頃から年中無休の商売屋で育った私は、これまでも、店を何日も空けて旅行をするという気分にはなれませんでした。 
今では年老いた両親もいますので、直のこと家を完全に留守にすることが出来なくなってしまいました。 
 
せっかくの大型連休なので、もう少し有意義な過ごし方を見つけないといけないと思ってはいるのですが… 

2007年05月02日

長崎

先週、商用で、久しぶりに長崎を訪れました。 
 
その合間、2時間ほど時間が取れたので、タクシーに乗り、主な観光地や施設を廻ってもらいました。 
 
長崎は、広島とともに、世界で唯一、戦争による原爆の被害を受けた街であり、戦後60年以上経った今でも、そして、これからも、けっして忘れ去られることはないでしょう。 
 
しかし、北朝鮮をはじめとした核保有の問題が大きく取り上げられる度、なぜ人間は懲りないのか、不思議な気持ちになります。 
企業人も拡大一辺倒で、大きいことはいいことのような行動していますが、何事も程々であるべきだと思います。 
 

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2007年05月07日

祭り

5月12・13日にかけて、八幡神社の祭礼「大垣まつり」が行われます。 
 
以前は、毎年5月14・15日に行われ、子供の頃は学校が休みとなるのが楽しみでしたが、時代の変化とともに、最近では、15日の前の土曜・日曜日に行われるようになりました。 
 
このお祭りは、正保5年(1648)、大垣城下町の総氏神であった八神宮が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備された折、市内10ヶ町が、10輌の山車を造り曳き回したのが始まりとされています。 
廷宝7年(1679)、藩主戸田氏酉公から、三輌山車と呼ばれる神楽山車・大黒山車・恵比寿山車を賜り、それを機に、10ヶ町は、山車の飾りつけに趣向を凝らすようになりました。 
 
その後、濃飛大震災や、第二次世界大戦により、多くの山車を失いましたが、修復や復元など、地元の努力により、現在では、11輌の山車が市内を曳き回されています。 
 
三輪酒造のある船町には、県の重要文化財に指定された玉の井山車があり、私も現在、出山車委員会の副委員長として、毎年祭りの運営に関わらせていただいております。 
 
近年、市より、運営費の半分近くを補助いただけるようになった反面、商売屋さんが廃業されサラリーマンとして働き出したり、地元の若い人がだんだんと少なくなり、祭りを支える人手が足らなくなっています。 
酒蔵の伝統を受け継ぐのも大変ですが、それと同じように、地元で長年続く伝統行事をお世話することや、お囃子の継承など、年々難しくなってきました。 
 
しかし、伝統を守り、伝えていくことは大切なことだと思い、頑張り続けています。 

2007年05月08日

抽選

昨年末『白川郷純米にごり酒発売30周年記念キャンペーン』では、約9万本に応募用紙を付けさせていただきました。
その内、1万人近い方からご応募いただき、驚きとともに感謝の気持ちでいっぱいです。 
 
全国の方々からいただいた応募用紙には、励ましやお褒めの言葉など、数多くのご感想が書き添えてありました。 
社員一同、ありがたい気持ちで拝見させていただいたと同時に、改めて、気持ちが引き締まる思いです。 
 
今回、いただいたご感想を拝見しながら思いましたのは、日本人の味覚というのがいかに幅広いものであるか、ということです。 
 
これまで、弊社のにごり酒は、清酒業界の中でも、異質な存在として見られがちでしたが、最近では、本来の米の味を充分に生かしたお酒として、多くの方から支持されるようになりました。 
 
清酒メーカーとして、お客様の意見を生かしながら、更なる努力をしていく所存です。 
今後も、白川郷にごり酒ファンの皆様の、暖かいご意見を頂戴いただければ幸いです。 
 
合計約600名の当選者の方には、先月中旬までに全て景品を発送致しました。 
本当に、ありがとうございました。 

2007年05月09日

養老の滝

トップページの風景画が新しくなりました。 
 
今回は、親孝行の伝説(古今著聞集)として知られる、岐阜県養老町『養老の滝』の絵です。 
毎回素晴らしい絵を投稿していただいている田邉さんに、感謝致します。 
 
『養老の滝』の親孝行の伝説は、その昔、貧しいながらも、親を敬い大切にしていた源丞内という孝行息子が、滝の水を眺めながら、その水がお酒であれば、父親に持って帰り、喜んでもらえるであろうと思い浮かべたところ、お酒に変わったという物語です。 
 
滝の近くには『養老天命反転地』や、『岐阜県こどもの国』などがあり、辺り一帯を含め、自然を楽しむことができる養老公園として、四季を問わず、多くの方が訪れる場所となっています。 
 

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2007年05月10日

ビジネスサミット2007

一昨日、地元の大垣共立銀行主催のビジネス商談会が、名古屋マリオットホテルにおいて開催されました。 
 
酒類業界の展示会は、毎年各地で開催されており、弊社もそれぞれ出展させて頂いておりますが、今回のように銀行主催の展示会への参加は、私共として初めての経験でした。 
 
どのようなことになるのか、さっぱり見当が付きませんでしたが、お誘いを受けた以上、不備のないよう参加させていただこうということで、専務と共に、1日立たせていただきました。 
 
今回の商談会には、今年度に全通する“東海北陸道”を南北に結んだ地域の地銀である、富山:北陸銀行、岐阜:大垣共立銀行・大垣信用金庫、三重:三重銀行・第三銀行と、それぞれ取引のあるメーカー・卸・小売の関係者が、約300社程集まりました。 
 
清酒蔵からの出展は5社だけでしたが、他にはあらゆる食品業種の方々が参加されており、なかなか面白い異業種交流会になったと思います。 
 
今、地方銀行も、このような商談会を催すなど、生き残りをかけて必死です。 
 
今回、参加させていただき、たくさんの刺激を受けました。 
私たち地酒メーカーも、更なる努力するを必要があるようです。

2007年05月11日

芭蕉元禄の街

俳人松尾芭蕉「奥の細道」の結びの地として知られる、大垣市船町湊(ふなまちみなと)には、俳句愛好家を始め、多くの方が訪れます。 
 
江戸深川を出発点に、約5ヶ月の漂泊の旅を続けた芭蕉が、その結びの地として選んだのが船町湊(ふなまちみなと)でした。 
 
その時、結びの句として詠んだのが
 
「蛤の   ふたみにわかれて   行く秋ぞ」 

という句です。 
 
芭蕉に縁が深いこともあり、今でも、市内には、多くの俳句愛好家がいらっしゃいます。 
毎年10月には「全国俳句大会」も催され、全国から大勢の方が集まり、自慢の句を披露しあっています。 
 
大垣商工会議所は、数年前より、TMOを設立し街づくりを進めてきました。 
私も、その中で、お世話をさせていただく立場にあります。 
 
昨年、街づくり三法が見直され、国も、ようやく本気で、地域の街づくり支援に乗り出しました。 
 
私達も、中心市街活性化に向けて、真剣に取り組む時が来たようです。 

2007年05月14日

大垣祭り

土曜・日曜と晴天に恵まれ、にぎやかに大垣祭りが開催されました。 
二日間で30万程の人が、久しぶりに市の中心街にあふれました。 
 
私たちの町内の人達は、朝7時に町のお宮さんに集合し、屋台を引き出し、氏神様である八幡神社に10ヶ町の屋台が勢ぞろいして、二日間市内を練り歩きました。 
 
10年ぶりに二日とも天気になり、連日夜の10時過ぎまで祭りの全行程が行われました。 
 
弊社の専務も町内の若い人達と一緒に夜遅くまで頑張ってくれました。 
二人とも、祭りの前日に東京へ出張しており、昨晩はさすがに疲れ果てました。 
 
市内の巡行の際、一つの町内の屋台の屋根が電線に引っかかり損傷して行列を離脱しました。 
私も責任上、絶えず屋台の運行の時には6メートル近い屋台の上下左右に目を配りながらゆっくりと歩いていました。 
 
こういった田舎の祭りの情緒は色々大変なことはありますが、とっても気持ちを和やかにしてくれます。 
日々せわしなく仕事をしている我々は、もう少しこういったゆとりの時間を持てるよう心がけなければならないと思いました。 

2007年05月15日

佐久平

先週、長野県佐久市まで行ってきました。 
と言うより、足早に、長野新幹線の佐久平駅を往復してきたと言った方が良いような一日でした。 
 
地酒VANサービスは全国各地の蔵元の会として運営しており、通常、それに関わる会議等は、会員蔵元の方々に東京へ集まっていただき開催しています。 
今回は、その中の2蔵元の社長さんにお会いしてきました。 
 
その内のお一人、島根県・都錦酒造の森脇社長とは東京駅で10時にお会いしました。 
 
その後、11時40分の長野新幹線あさま号で佐久平駅まで向かい、駅前にあるそば屋で昼食をとりながら、もう一方である千曲錦酒造の原社長にお会いしました。 
 
千曲錦酒造を経営されている原家は、今年の大河ドラマ「風林火山」にも登場する“武田二十四将”の一人、原美濃守の子孫だそうです。 
その時代以来、佐久の地を与えられ、320年前から今日まで酒造業を続けてこられました。 
 
当社(三輪酒造)も、今年創業170年を迎えましたが、全国の酒造家の中には、300年以上という歴史ある蔵元が数多くあり、それぞれの蔵の歴史を伝えながら、家業を続けることに努めていらっしゃいます。 
 
そんな酒蔵の歴史、酒文化の歴史を感じながら、多くの方々に、もっともっと地酒を飲んでいただければ幸いです。 
 
お二方との打合せを終え、15時過ぎの列車で、東京経由で岐阜へ戻り、20時からの会合に出席し、翌日は祭りに参加しました。

今回、かなりの強行スケジュールでしたが、こんなことが出来てしまう今の時代が、一見、便利で効率の良いようにも思えます。
 
しかし、それと同時に、果たして、これが本当にいい時代と言えるのか、そんな思いも、頭を過ぎりました。 
 

2007年05月16日

神田祭り

先週、東京神田明神の例大祭が開催されました。 
 
神田祭りは、日本橋から神田周辺の各町会の神輿が数多く参加し、浅草三社祭同様、江戸風情溢れるお祭りです。 
 
その日、東京駅でお会いした都錦酒造の森脇社長は、神田祭りでお酒を売る為に、はるばる島根県江津市から東京まで来ていたとのことでした。 
 
この森脇社長というのが、非常にアイデアマンで、以前、横浜ベイスターズの佐々木投手が活躍していた頃には、『横浜の大魔神』というお酒を造られ、話題となりました。 
今回も、神田祭りにちなんだお酒を売りに上京されたようです。 
 
高校野球で有名な「江の川高校」があることで知られる島根県江津市は、浜田市より鳥取県よりに位置し、日本海に面した情緒漂う港町です。 
 
都錦さんのお酒を飲みながら、港町ならではの、新鮮で美味しい海の幸を頂けば、とても幸せな気持ちになれるのではないかと思います。 
皆さんも島根へ行かれるチャンスがございましたら、是非、お蔵を訪ねてみてはいかがでしょうか。 

2007年05月17日

決算総会

今月から来月にかけて、各地にて、事業ごとの決算ならびに事業計画等についての総会が行われます。 
 
企業の決算は、1年間の事業の結果を数字で評価されるのですが、会社を預かる社長という立場としては、この事が最も気になる事のひとつです。 
 
この結果を良くしようと、日夜努力をしているのですが、なかなか思うようにいくものではありません。 
 
お客様に、我どもの商品を手に取ってもらい、飲んでいただくには、どうしたら良いのか。 
 
お得意先、仕入先の方々に、私の思いを伝え、理解していただき、認めていただくこと。 
そして何より、私社の全社員が、私と思いを共有してくれることが大切です。 
 
社長である私だけが一生懸命思っていても、従業員が会社の方針と同じ気持ちになってくれなければ、何も変わりません。 
 
これまで、いくつかの問題を抱えてきましたが、ここにきて、ようやく社員の気持ちがひとつにまとまる方向へ進んでいるようです。 
 
18年度決算もまずまずの結果となり、「ほっ」しています。 
今年度は、より社内充実に心がけ、今の状態がより良くなる様努力して参りたいと思っています。 

2007年05月18日

小売組合

一昨日、西濃小売組合の総会に出席しました。 
 
3月の西濃酒造組合例会の席上、国税局の調整官が、もっと地元で売ることを考えなければいけないという旨の発言をされました。 
 
その後、小売組合でも同様の提案があったようで、小売組合から酒造組合の蔵元に対して出席要請があり、今回の運びとなった次第です。 
 
これまでも、“地酒”を地元で売りましょうというお話はたびたび出るのですが、岐阜県西濃地域は、私が業界に入った30年以上前から、地酒のシェアが非常に小さいのが実情なのです。 
三輪酒造でも、会長の時代には、桶売りに、大きくシフトしていました。 
 
当時、地元で苦戦し続ける自社ブランド商品を売るために、必然的に、域外への販売に力を入れることになっていったのですが、その結果、『白川郷にごり酒』が誕生することになり、今や、三輪酒造の主力ブランドとして、全国の皆様からの支持をいただく商品に育ちました。 
 
しかしながら、やはり“地酒”は、地元の人に愛されてこそ“地酒”となるのですから、これからも地元の小売、卸売りの方々の協力を得ながら、地域で愛されるお酒を造っていきたいと思っています。 

2007年05月28日

データベース

先週火曜日、全国卸中央会の事務局まで行ってきました。 
 
事務局よりお呼びがかかったのですが、先月解散となった『酒類等商品データベース開発委員会』の件でした。 
 
この委員会は、平成9年7月22日、中小企業庁の補助事業として、酒類業中央団体連絡協議会が、酒類のデータベースの標準化を目指して発足したものです。 
私は、酒造組合中央会の代表として委員に任命され、その後、5年近くこの事業に関わらせていただきました。 
 
この事業は、3年程前に、食品業界を中心とした別団体に統合され、その役目を終えました。 
もちろん、私のもとにも、この事業を解散するという案内が届いておりました。 
 
ところが、いざ解散するにあたり、問題が起きたようです。
 
大手主導で進められている新たなデータベースセンターなのですが、中小卸メーカーからの参加が得られず困っているとのことでした。 
 
そのため、私に、再度協力してほしい、との依頼があったのです。 
 
と言いますのも、新たな団体に業務が移管される際、私が 
「これは中小の切捨てではないのでしょうか?」 
という内容の発言をした経緯があり、参加に躊躇している中小の気持ちも理解できているという認識からであろうと思われます。 
 
確かに世の中の流れは、大手量販、大手卸、大手メーカー主導で商品が流通している事は間違いありません。 
しかし、酒類業界で流通している商品は、けっして大手の商品ばかりではなく、私共のような、中小メーカーの商品も数多くあります。 
 
そのようなメーカーの中には、データベースの必要性を充分に認識していらっしゃらない方が、まだまだ多いのが現実であり、対する流通の方々は困惑されています。 
 
今回のお話は、中小の酒蔵を含め、このデータベースセンターへの参加を、いかにして勧めていったらよいのかという相談でした。 
 
今年一年かけて、酒中連の各団体から、改めて委員を選んだ上で、委員会を立ち上げたいとの意向でしたので、快くお引き受けして参りました。 
しばらくご無沙汰しておりました国税庁酒税課の方々ともお会いできるようですので、楽しみにしております。

2007年05月29日

ソフトピアジャパン夏祭り

大垣市には、「ソフトピアジャパン」と呼ばれる先進情報団地があります。 
ここは、総務省より、ITビジネスモデル地区に認定され、また、構造改革特区としても認定されており、現在170社程のIT関連企業に、2,000人以上の関連技術者が働く、一大情報基地として形成されつつある場所です。 
 
ここで働く人たちは、普段、室内でコンピュータに向かっての仕事をしている人が多く、お互いの交流がほとんどありません。 
そのため、年に1度位は、その交流を深める機会を作ってあげたいという思いから、8年程前より、毎年8月第1金曜日に“ソフトピアジャパン夏祭り”を開催するようになりました。 
 
この祭りは、主な企業の中から選ばれた若手10数人で実行委員会を組織してもらい、その運営を任せています。 
 
普段は、皆建物の中に篭りっきりで、外には人気も少ないような場所での祭り開催ですから、当初は、本当に人が集まってもらえるのだろうかと心配しておりました。 
 
しかし、今では、夕方6時の開会の頃には、各企業の若手を中心に、ぞくぞくと人が集まり、ビールを片手に、いろいろな催しを楽しむ、賑やかな祭りとなっています。 
祭り当日には、20本近いビア樽が消費される程、皆その祭りを楽しんでいるようです。 
 
これからも、この祭り以外の方法でも、それぞれが交流を重ね、もっともっと人の輪を広げていただけるよう、陰ながら応援していきたいと思っています。 

2007年05月30日

酒蔵

当社の酒蔵は、今から120年程前の、明治21年に建設された、市内でも、歴史ある建造物の一つです。 
 
明治25年の濃尾大震災では、多くの建物が壊れ、この町内でも、ほんの数軒を残し、ほぼ全壊状態になったそうです。 
そんな中、我が家は、主家が壊れてしまったものの、幸いにも、酒蔵は倒れることなく、無事に残りました。 
 
また、先の大戦時には、大垣市内中心部が空襲による戦火に見舞われ、そのほとんど焼け野原のような状態になりましたが、この時も、私どもの酒蔵は、その被害から免れ、今に至っています。 
 
現在、我社敷地内には、2階建てと3階建ての大きな土造蔵を中心に、大小10棟程の建物があります。 
 
小さな建物は、これまで、少しずつ建て替えたり、新しく建てられたものですが、中心の蔵は、毎年、修理を重ねながら、今でも仕込み蔵として活躍しています。 
 
この地域は、海抜ゼロメートル地帯に程近く、昔から、水害が多発している所でもあります。 
 
土造蔵は、水に弱く、水害のみならず、ちょっとした雨漏りを放置するだけでも、そこから壊れ始めてしまいます。 
 
今年も、仕込み作業のない夏の時期に、一部の土台の修復と、地震対策の工事を予定しています。 
 
酒造りを続けることはもちろんですが、この酒蔵を維持していくことも、歴史や文化の伝承として、大切なことであると考えております。 

2007年05月31日

澤田屋火事

今からちょうど130年前の明治10年2月14日午前2時頃。
私共の酒蔵から、火の手が上がりました。
 
伊吹おろし”と呼ばれるこの地方独特の季節風にもあおられて、火はみるみる燃え広がり、結果的には、150軒とも、200軒とも言われる大火事となってしまったのです。 
 
この火事は、当時の屋号から「澤田屋火事」と呼ばれ、その後、“大垣六大騒動”の一つとして後世に伝えられています。 
 
起こしてはならない大火事の出火元となった当家が、酒造業を廃業しなければならないような状況にまで追い込まれたのは当然のことであったと思います。 
 
その時、当主であった徳次郎は、大火となってしまった原因の一つとして、この地に“火消し”がなかったことに気づきました。 
 
当時の澤田屋は、酒造業以外に、江戸で米屋を営んでいたこともあり、その江戸の火消しの組織を学び、大垣の地に「大文字組」という名の“火消し”を作り、徳次郎自らが初代組頭となったのです。 
 
そして、それと同時に、『代々消防にご奉仕せよ』という家訓を作りました。 
 
「火元七代たたる」と言われますが、その後、先代も、先々代も、大垣市の消防団長を務めさせていただきました。 
当然のように、私も消防団に入団し、10年前までは本部長として、現在は大垣市防火協会の会長として、地元の消防に関わらせていただいております。 
 
また、私の父である春雄は、前晩必ず、寝る前に酒蔵見廻りを行なってきましたが、今では、私がその役を引き続いでいます。 
 
先祖の苦労を想うと、どんなことがあっても火事は出してはいけないと気が引き締まる思いであるのと同時に、その時、廃業の道を選ばず、よく持ちこたえてくれたものだとつくづく感心しています。 
 
その祖先の気持ちを、今度は私が後世に伝えていかなければ、と思っています。