地酒道楽 JIZAKE-VAN SERVICE 400銘柄以上の地酒を皆様にお届けします

社長ぶろぐ (2007年09月)

2007年09月03日

いよいよ9月

例年にないくらいの猛暑を記録した夏もようやくピークを過ぎ、少しずつ秋の気配を感じるようになりました。 
振り返ると、今年の夏は異常な高温が続き、クーラーや清涼飲料は大変好調な売れ行きだったようです。 
 
季節商品の売れ行きは、その年の暑さ寒さで違いますが、これまでの経験からすると、暑いときはより暑く、寒いときはより寒い方が、その後の商品の動きが良くなる傾向にあります。 
人の購買に与える精神的な面で言うと、思い切った仕入をさせるには、当然資金の流れが重要なポイントとなりますが、今年の夏のように季節商品がしっかりと動くと、次に来る秋に向けた商材の仕入に弾みがつく事になります。 
 
もちろん、いくら仕入が増えたところで、消費者の方に、実際に購入して頂かなければ売上には繋がりませんが、これから1ヶ月が冬に向けて清酒が動くかどうかの分かれ目になるのではないかと思います。 
 
社内では蔵内の整備や体制固めも終わり、秋の需要期に向けて、いよいよ本格的に稼働します。 
 
現在、地酒VANサービスは新しいカタログの発行に向けて準備を進めており、今月末には加盟店様のお手元に届けることができるよう頑張っております。
また、三輪酒造では、秋期キャンペーンを実施して、新規顧客の獲得に努力しているところです。 
 
各蔵元におかれましても、「ひやおろし」を含め、それぞれ営業努力をされていると思いますが、どのような形であれ、一人でも多くの方に日本酒を飲んで頂けるよう、お互い力を合わせて頑張りましょう。 

2007年09月05日

商工会議所議員選挙

今年は大垣商工会議所の議員改選期にあたり、今月から来月にかけて議員選挙が行われます。 
議員選挙と言っても、市会議員選挙とは違い、自ら進んで立候補する人は無く、それぞれの部会の中でこの人はという方に立候補して頂くようにお願いをし、3年間の任期を務めていただきます。 
 
私自身も、父の跡を受け、10数年前より議員を努め務めさせていただいています。
 
先日、ある席で、市議会議員の先生に、 

 
「あなた方は議員報酬をもらって議員をやっておられるのですが、私たちは会費を払って議員をやらせてもらっているのですよ。」 

 
と言いましたら、 

 
「大変ですね。」 

 
と言われました。 
 
近年、ボランティア活動が盛んになっていますが、企業活動をされている社長さんと言えども、会議所の議員や、ましてや役職まで受けられる方はそれほど多くはありません。 
その為、小さな街の中で同じ人に役が集中し、特に会頭、副会頭を始め、中心的な役を務めていらっしゃる方々は、他にも多くの役職を兼ねているのが実情です。 
 
私も出来る限りお断りするように心がけてはいますが、田舎の街で、古くから商売をしている関係もあり、様々なしがらみの中で、いくつかの役職を受けざるを得なくなっています。 
自身の事業もままならないのにそんなことをしていてもいいのか、と思うこともありますが、自分の楽しみに使う時間を削ってでも、地域の為に時間を割くことも大切であると考えています。 
 
積極的に商工会議所やロータリー活動のお手伝いするには、まだまだ余裕がありませんが、本業を含め、事業活動をしっかりとやらせていただいた上で、地域貢献をさせていただけるよう頑張らなければいけないと思う今日この頃です。 

2007年09月06日

J.フロントリテイリング

株式会社大丸と、株式会社松坂屋ホールディングスは、9月3日、株式移転方式により、共同持株会社「J.フロントリテイリング株式会社」を設立し、経営統合されました。 
 
弊社は、永年に渡って、この両社に大変お世話になっております。 
お取引額としては大変小さなものですが、私の気持ちの中では、とても大切な両社なのです。 
 
今から30年前の昭和51年9月、初めて「白川郷純米にごり酒」の仕込みを行い、10月のどぶろく祭りに何とか間に合わせることができました。 
そして、翌11月、東京八重洲の大丸百貨店酒売り場にて、あらかじめお約束してあった試飲会を開催したのです。 
これが「白川郷純米にごり酒」にとって、最初の試飲宣伝販売でした。 
 
試飲販売というと、試飲していただいた10人中、1人の方に購入していただけるかどうか、というのが酒業界の常識です。 
しかし、その時には、半分以上の人にお買い求めいただきました。 
 
大丸のご担当者が大変驚かれ、当時の係長さんから、 
「1年間、首都圏での販売をうちに任せてほしい。」 
と言われました。
実際、その後の1年間、料飲店までの配達もしていただいたのです。 
 
また、20年前、地酒VANサービスを始める際には、松坂屋さんに大変お世話になりました。 
 
当時の仕入課長さんに、私が考えていた、現在の地酒サプライウェブシステムの原型とも言えるシステム作りについてお話したところ、 
「地下の酒売り場でやってみたらどうでしょう。」 
というありがたい言葉をいただきました。 
 
そして、昭和63年7月の中元期、松坂屋銀座店にて、実験的な販売をさせていただいたのです。 
これが、地酒VANサービスの、事実上のスタートとなりました。 
 
その後、「白川郷にごり酒」誕生から30年、地酒VANサービス立ち上げから20年が経過しました。 
それぞれ、時代と共に変化してきましたが、あの時のご恩は、未だに忘れることができません。 
 
今回の両社の統合が、是非ともいい結果に繋がりますよう、陰ながら応援している次第です。 

2007年09月10日

ひやおろし

業界では最近、9月9日を「ひやおろし解禁日」として、売り出そうという動きがあるようです。 
 
以前から、10月1日の「日本酒の日」、2月の「しぼりたて」など、色々なチャレンジをしていますが、実際には、なかなか定着をしていません。 
しかし、どんな事でもコツコツと続けることが大切であると思います。 
 
「ひやおろし」の意味はよく分かりませんが、蔵内で夏を越したお酒を、涼しくなった頃に壜に詰めて出荷する商品を指して言われてきたものではないかと思います。 
 
「秋あがり」という言葉もありますが、これはすべてのお酒にあてはまる訳ではなく、冬に仕込まれて半年ほど貯蔵されたものの中で、秋になって味がのって美味しくなったものを、「秋あがりの酒」と呼んでいました。 
逆に、夏を越して旨味がなくなった酒は「秋落ちした」という言い方をしたものです。  
 
最近は冷蔵で貯蔵される酒も多くなり、昔と比べ、熟成のスピードがゆっくりしています。 
そのお酒にとって、どの時期が一番良い味になっているのかという的確な見極めをし、商品として完成させる... 
それは、蔵元にとって、利き酒の能力を大いに試されるところであり、お酒は生き物である実感するのは、正にこんな時ではないかと思います。 
 
吟醸酒の類の中には、特に秋あがりをする酒が多く含まれます。  
また、大吟醸のようなお酒は、一年ほど貯蔵した後、上手く濾過をして商品にすると、本当に美味しく飲んでいただけます。 
 
一年を通して、いろいろな変化をする日本酒を、是非じっくり味わってください。 

2007年09月11日

つくつくぼうし

日中はまだまだ暑い日が続いていますが、朝晩はめっきり涼しくなりました。 
ふっと気が付くと、つくつくぼうしや鈴虫といった秋の虫の声が聞こえてきます。 
 
この時期、お酒を飲むシーンでも、冷酒だけではなく、熱燗を飲む人が少しずつ増えていることと思います。 
 
先日、税連協(税務連絡協議会)の会合の中で、日本酒で乾杯していただく様、税務署長や法人会長にお願いしました。 
日本酒がおいしいということは皆さんよくご存知なのですが、どうも飲み過ぎるとか、車があるとか、色々な理由で飲まれないことが多くなっています。 
 
暑い時に、冷えたビールを飲むのは私も大好きです。 
しかし、一杯目のビールの後に、他の酒、特に日本酒に変えるという方が非常に少なくなってしまいました。 
 
初めから全て日本酒で、とは言いませんが、料理によって、場面によって、アルコールの酒類変えるという趣を楽しむことを、もっと多くの方に知ってもらいたいと思います。 
 
日本の四季は情緒があり、また、本当にありがたいものです。 
 
日本という国はそういう点において、とても豊かな感情を持つ国であったはずなのですが、どうも最近の日本人は、情緒ということを理解できる人が少なくなってきたのではないかと寂しく思っています。 
 
せっかくの楽しい酒の席なのですから、四季折々の料理、和洋中といった料理、様々な場面ごとに、その飲み方にも変化をもたせてほしいものです。 

2007年09月18日

安倍首相辞任

12日午後2時、安倍首相が与党幹部らに退陣の意向を伝えた、という臨時ニュースが流れました。 
日本中の誰もが驚いたたと同時に、「なぜこのタイミングで?」と思われたことでしょう。 
 
首相ご自身は、精神的にも肉体的にも、限界を越えておられたことは確かなようです。 
就任以来の度重なる騒動の渦中にあったご本人の心情を思えば、仕方がなかったのかと同情したくなる気持ちにもなりますが、日本国の総理大臣という立場である以上、あのような決断をされては、無責任と言われても仕方ありません。 
 
しかし、昨年から続いている様々な問題に共通するのが、安倍総理が下す決断のタイミングの遅さであったような気がします。 
何か起きた際、一度はその人をかばう気持ちが働いて、その後、世論により方針を変えるという事が多く見受けられました。 
 
リーダーである以上、何事においても、決断するまでの熟慮が必要なのです。 
そして、一度ことを決めた後には、誰が何を言おうと、その方向性を変えないという強い信念が必要なのではないでしょうか。 
 
私も小さいながら幾つかの会社を預かっていますが、周りの人々と意見の違うことを決断しなければならないような場面に遭遇することがあります。 
 
そんな時に、何を基準に決断するかと言えば、 
まず、世の中の為になる事なのか、 
次に、相手の立場はどうなのるか、 
そして最後に、自分はどうなるのか、 
ということを充分に考え、答え出すようにしています。 
 
もちろん、常に“三方良し”の結果に繋がる決断を下すことができるのであれば、それに越したことはありません。 
 
しかし、いざ問題が生じた時には、誰かが犠牲を払わなければ治まらないことが往々にしてあるのです。 
そんな時にも、出来る限りその犠牲を最小限にとどめると同時に、将来必ず良くなることを信じて実行するよう心がけています。 
 
次の日曜日には、新しい総理大臣が決まるようですが、是非とも日本国の為に頑張ってもらいたいものです。 

2007年09月19日

自然災害

台風12号が日本海を北上し、東北地方に被害をもたらしました。 
被害に遭われた地域の方々には、心よりお見舞い申し上げます。 
 
ここ数年の台風の動きは、過去、伊勢湾台風や室戸台風が本州を直撃した頃と比べ、進路が少し西や東にずれているような気がします。 
おそらく、太平洋高気圧や、偏西風の位置が変わってきていることも影響しているのでしょう。 
以前ならば、台風の影響を受けることなど皆無に等しかった地域でも、油断できなくなってきています。 
 
弊社がある岐阜県大垣市は、昔から洪水の被害に悩まされ、幾多の辛い目に遭ってきました。 
 
昭和51年にこの地域を襲った集中豪雨では、1週間にも渡り雨が降り続き、河川の氾らん、土砂崩れ、道路の寸断など、大きな被害をもたらしました。 
 
豪雨の影響により、大垣市周辺の各堤防はしっかりと水を含み、長い杭さえも手で簡単に入ってしまうほどで、いつ、どこが切れてもおかしくない状況にあり、その当時、地元の消防団に属していた私は、連日、警戒にあたるため出動していました。 
 
ある日、とうとう大垣も街中水浸しになり、消防団の車庫まで水がきたために、団員全員、自宅へ戻りました。 
 
そして、翌9月12日午前10時28分頃、隣町、安八郡安八町大森の長良川右岸堤防道路が決壊し、周辺集落は濁流に飲み込まれる被害に遭いました。 
 
この長良川の決壊と直接的な関係はないものの、大垣市内も甚大な被害を受け、その後の1週間は、再び消防団員として出動し、水が引いた後の片付けを手伝いました。 
その惨状は、気の毒の一言では言い表せないもので、各家々から、ダンプカー2台分ずつ位にもなる、水に浸かって使えなくなった家財道具が、次々と運ばれていく光景を、今でも忘れることはできません。 
水の力の恐ろしさを、まざまざと見せつけられる体験となりました。 
 
地震については、今回の新潟を含め話しを聞くだけで、自ら体験はしていませんが、水害共々、自然の力というのは、我々人間では何ともしようがありません。 
永い人生の中で、いつ何が起きるかわかりませんが、いざという時の心構えだけは持っていたいものです。 

2007年09月20日

観光ボランティア

我が街大垣市には、『観光ボランティアガイド』と呼ばれている団体があり、グループ毎に予約をすれば、市内の史跡や施設を、約1時間程度ゆっくり案内してもらえます。 
 
数年前から始まったこの制度には、文字通り、多くの方がボランティアとして参加しており、特に、定年を迎えられた後、「何かのかたちで地域の役に立ちたい」という想いを持っていらしゃる方が多く、非常に自主的な活動をされています。 
中には、学校の先生であったり、企業の部長さん、はたまた市議会議員の先生も参加されているようです。 
 
時々、ボランティアの方が集まっていらっしゃる所へおじゃまをして、話をさせていただきますが、各自がかなりしっかりとした意見を持っておられ、街づくりに関して、いろいろなご意見を出されます。 
ボランティアガイドをされているほどの方々ですから、街に対する想いは強く、大したものだといつも感心しています。 
 
最近、街の中には、この『観光ボランティアガイド』以外にも、NPO団体も含めて、様々な活動をしている方が大勢いらっしゃいます。 
多くの方が街づくりに関心を持ち、自主的に、積極的に活動していただいていることに感謝するとともに、これらの活動が、必ず大垣市の活性化に繋がっていくものと信じ、私も陰ながら応援しています。 
 
ただ、これだけ多くの方がいらっしゃると、中には、余りにも想いが強すぎて他人の意見に耳を貸さない人や、人の好き嫌いが激しく、一緒に活動できないというようなことで辞められてしまう方も、少なからずおられるようです。 
 
例えば、大垣は井戸水が自噴することで有名なのですが、数年前、街中に井戸を掘る話が持ち上がったことがありました。 
 
この時、偶然にも、3つのグループが同じタイミングでこの案を出したのです。
客観的にみて、同じような内容なので、皆が一緒に活動されればいいのにと思ったのですが、どうもお互いの人間関係が上手く絡まなかったようで、別々に井戸を掘ることになりました。 
 
結果的には、いくつかの井戸が完成したので良かったのかもしれませんが、田舎の街の人間関係は難しいものだと、つくづく思いました。 

2007年09月21日

第1号仕込み

夏の間に実施した建物の修理や機械の保守点検が終わり、社員達にも、いよいよ始まるという思いが高まってきた様子です。 
 
そして今週、今酒造年度の第1号の仕込が始まりました。 
三輪酒造では、これから来年6月までという永い間、仕込が続くことになります。
 
来月19日に南部杜氏が蔵入りするまでは、製造部長を中心とした社員の手により、1週間に1本半のペースで仕込み、順調にいけば、今月中には1本目の新酒が出来上がる予定で、『白川郷純米にごり 出来たて』として販売が可能となります。 
 
また、来週からは、白川郷にごり酒拡売のための「白川郷秋期キャンペーン」が
始まります。 
10月に入れば、需要期に向けて、益々慌しい日が続くことでしょう。 
 
清酒業界全体の流れとしては、まだまだ売れ行きが芳しくないようですが、弊社
の『白川郷純米にごり酒』は順調に売上を伸ばしており、本当にありがたいこと
です。 
 
先日来、時々話をしている『冷凍にごり酒』についても、いくつかの得意先様から、扱ってみたいというお話をいただく機会が増えました。
2本目以降の仕込みではその一部を冷凍し、いつでも出来たての味を味わってい
ただけるように準備しております。 
 
私は、『白川郷 冷凍にごり酒』を、密かに「酒スウィート」と名づけ、他にはないその味わいを自画自賛しています。
 
ご興味がおありの方は、三輪酒造もしくは地酒屋のサイトをご覧頂いて、一度お
試し下さい。 
 
株式会社三輪酒造
日本銘醸会地酒屋

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2007年09月26日

創業170周年記念講演会

弊社はお陰様で、天保8年創業以来、今年で170周年目を迎えることが出来ました。 
 
一口に170年と言いますが、幕末から明治、大正、昭和、平成と様々な社会の変化や、自然災害、大火事、戦災などを経て、よくぞここまで続けてこられたものだと、代々の当主に感謝すると共に、これからも50年、100年と続けられるように、私共も頑張らねばと思っています。 
 
そして何より、初代徳次郎が創業した酒造業を、7代目の私まで続けてこられたのは、地域の方々やご先祖のお陰と深く感謝致しております。 
 
今回、創業170周年を記念して、来たる9月28日金曜日、大垣市のフォーラムホテルにおいて、株式会社三輪酒造創業170周年記念講演会を開催することになりました。 
 
大垣という地は昔から、日本の政治・経済・交通の要衝として重要な場所にありました。 
遠くは壬申の乱に始まり、関ヶ原合戦、そして明治維新と、いつの時代も、この大垣を中心とした西美濃一帯が東西の接点として位置づけられてきたのです。 
 
当日は、弊社と大変関わりの深い、幕末の大垣藩藩老であった小原鉄心についての講演を、岐阜県立芸術科学情報アカデミーの横山正学長にお願い致しました。 
演題は「小原鉄心とソフトピア」とさせていただきましたが、幕末における大垣も、現在の大垣も、日本列島のへそのような地にあります。 
 
時代がどのように変わろうと、この地の持つ重要性は、日本国にとっても、この地域にとっても、非常に大きなものであるということを、地域の方々と語り合う日とさせて頂く事にしました。 

2007年09月27日

大垣藩

我が街大垣は、織田信長の時代より遥か以前から、日本東西の交通の要所として重要視されてきました。 
 
日本地図をご覧になれば、日本列島の中で、敦賀湾から伊勢湾の間が最も狭くなっていることがよくお分かりいただけると思います。 
この狭い間に、江戸時代には東海道と中山道があり、現在では、東海道新幹線や名神高速道路を始めとする日本の大動脈が集まっています。  
 
大垣に程近い関ヶ原付近は豪雪地帯として知られており、例年、その雪の影響により、新幹線のダイヤが遅れることがあります。 
昨年の12月22日には、名神高速道路と名阪自動車道も大雪のため通行止めになり、年末の慌しい中、東京大阪間の荷物が一両日ストップし、各方面の物流に大きな影響を及ぼしました。 
 
時は遡り、慶長5年(西暦1600年)関ヶ原の合戦の際、西軍石田光成は当初、大垣城に入り、大垣の地で東軍徳川家康を迎え撃つつもりでいました。 
家康も、大垣城から北西に位置する岡山(現在の大垣市赤坂町・勝山)に布陣し、大垣での決戦に控えていたのです。 
 
しかし、光成は、決戦直前、城攻めの上手い家康を嫌って、10km西に位置する関ヶ原へと主戦場を変更し、これが後に「関ヶ原の合戦」と呼ばれる大きな戦となりました。 
 
合戦後、徳川幕府は、交通の要所となるこの地域において、大垣には戸田家、桑名に松平家、彦根に伊井家を置いて、西の大名に対する万全なる布陣を引きました。 
その後、300年という永きに渡り、徳川幕府による江戸時代が続いたのも、この地域を実質的に支配することができたというのが、その要因のひとつかもしれません。 
 
私共の近くには、戦国時代以降、様々な場面で重要となった城が多数ありました。
戦災などにより、当時のまま残っているのは犬山城のみですが、大垣城はもとより、岐阜城、名古屋城、小牧城、彦根城、長浜城など、新たに建て直されたお城も当時を偲ばせています。 
 
7年前には大河ドラマに合わせ、大垣城公園一帯で「決戦関ヶ原・大垣博」という一大イベントを開催しました。 
最近では、市長も大垣城を中心とした街づくりを考えておられます。