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社長ぶろぐ (2008年09月)

2008年09月02日

集中豪雨

いよいよ9月に入りました。 
 
この10日くらいの間にめっきり秋らしくなり、お盆前の猛暑が嘘のように和らぎ、夜の寝苦しさもなくなりました。 
日本の四季のありがたさを感じています。 
 
一方、先週は各地でゲリラ的な豪雨があり、記録的な大雨となった愛知県岡崎市では、二人の女性が亡くなるなど、大きな被害を齎しました。 
被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。 
 
集中豪雨といえば、昭和51912日、長良川の堤防が決壊し、この地域に大変大きな被害が出たことを思い出します。 
 
この時は、一週間程前線が停滞して雨が降り続き、廻りの河川は、どこも危険な状態となっていました。 
当時、地元の消防団に属していた私は、他の団員と共に、連日、警戒にあたるため出動していましたが、長良川が決壊する前夜には、消防団の車庫まで水が入ってきたため、各自、自宅へ戻りました。 
 
その夜中に、木曽三川の一つである長良川が切れたのですが、それによって揖斐川の水位が下がり、そこに繋がる他の中小河川が流れを取り戻し、市内の水位も徐々に下がり始めたのです。 
しかしながら、それまでの増水により、市内全域に亘って床上・床下浸水の被害が出るなど、大変な災害となりました。 
 
また、長良川右岸に面した地域では、一階の軒以上に水が浸かりました。 
水が引いた後も、各家々から、ダンプカーに12杯のゴミが出るほどで、元の生活に戻るまでに、数ヶ月の時間を要したようです。 
 
濃尾平野に位置するこの地域は、昔から、水による被害をたびたび受けており、部落ごとに「輪中」と呼ばれる堤防で囲い、その被害から田畑を守る工夫をしてきました。 
輪中のおかげで被害を免れる度、先人の知恵として、すごいことだと実感しています。 
 
しかし、いつの世も、天災は、いつ何時やってくるかわかりません。 
常日頃から、気をつけたいものです。 

2008年09月09日

世論 

91日、福田総理が、突然の辞任を表明しました。  
昨年の安倍総理に続き、日本国を預かる総理大臣が、何の前触れも無くその職務を放棄するという事態は、やはり異常なことだと思います。 
 
最近は、テレビのワイドショーでも政治について取り上げる機会が多くなり、昔に比べると、お茶の間の関心が高くなっているようです。 
 
しかし、その取り上げ方が、「劇場型」などと言われるように、視聴者受けするような作り方ばかりであるために、本来、議論されなければならない問題が表に見えてこないのと同時に、政治活動が、人気取り優先になっているのも、否めない事実です。 
 
戦後60年を過ぎて、今、世の中は変わろうとしています。
そんな中、政治体制はというと、官僚と政治家との対立や、バブル時に積み重ねた莫大な借金のツケ、グローバル社会への対応の遅れなど、様々な要因が重なり、世の流れに大きく遅れをとっているのではないでしょうか。 
 
世論とは、世の中の人々がどう考えるかという事ですが、それをどう感ずるかが、それぞれの組織を預かる者にとって、最も大切なことだと思います。 
世論をコントロールすることは難しく、それに惑わされないことの方が大切なのですが、人間は弱い動物であり、ついつい強いほうに流されがちです。 
 
最近、私は、その世論を感じつつ、バランス感覚を持ちながら事を処すよう心がけています。 
事業の運営はもちろん、社会人として行動する場合に、何が正しいかを決めるについて、このバランス感覚は、非常に大切であり難しいことだと思います。 
 
 

2008年09月17日

事故米転売問題

大阪の三笠フーズに端を発した事故米の食用転売が大きな問題となっています。 
 
問題発覚後、我々アルコール業界にその一部が流れたという事実が発覚したことにより、弊社にも、関係各社から問い合わせがありました。 
おかげ様で、三輪酒造はもちろん、地酒NANサービスの加盟各社共、問題となっている米とは一切関わりはなく安堵しております。 
 
今回は、問題となっている業者側が、最初から相手を騙すつもりでやったことであり、騙され方々は、誠にお気の毒と言わざるを得ません。 
しかし、これには、多くの米流通制度上の問題点が隠されているように思います。 
 
米の流通は、20年程前より自由になったはずが、実際には、今も全農の管理下にあり、農林水産省共々、国内の米流通を支配し続けています。 
 
近年、清酒業界では、純米酒・本醸造酒といった特定名称酒が多くなりました。 
今回、問題となっている米は、一般に「くず米」と言われるものですが、特定名称酒を製造する上で使用する米は「3等米以上であること」という厳しい制約があるため、そのような米を利用することは不可能となっています。 
 
私達清酒メーカーは、現在、全国に1500社程あり、その1500社が使用する米の量は、国内の年間米生産量の、約一割程にもなります。 
今回の問題を契機に、国内の米生産量を今以上に増やすと共に、良い米が適正な価格で流通するよう、農林水産省及び全農の、更なる努力を期待したいと思います。 
 

2008年09月24日

特攻の町 知覧

先週、台風13号の真っ只中、鹿児島へ行ってきました。 
 
今回の主目的は、商工会議所情報委員会の役員会でしたが、予てより、一度訪ねてみたかった知覧をコースに組み込みました。 
知覧は、先の大戦時、本土最南端の特攻基地となった町です。 
 
戦後生まれの私には、太平洋戦争そのものがよく理解できません。 
中でも、生還の可能性の無い体当たり攻撃である【特攻】という行為は、全く分からない事です。 
  
沖縄戦では、1000人余りの若者が、国や国家の為と自分自身に言い聞かせて出撃し、尊い命を失いました。 
皆、17〜23才という若さだったのです。 
今の時代、誰もが、何故、そこまでやらなければならなかったのかと考えることでしょう。 
 
特攻平和会館に展示してある多くの遺書には、必ず「お母さんありがとう」という言葉が書かれていました。 
これからの人生、何をして生きようかと、希望に満ちている年代の人々が、さぞ残念だったであろうと思います。 
 
終戦から60年以上経過した現在、私達は、とても平和な毎日を送らせてもらっています。 
今回、知覧を訪れて、戦争で犠牲となった多くの人々の想いを無にしてはいけないと痛感しました。 
 
戦後生まれの私も60才になろうとしている今日、これからの人生を大切に生きていかなければいけないと思っています。 
 
 

2008年09月30日

奥の細道むすびの地

大垣市の船町湊は、江戸時代から、美濃路大垣宿と東海道桑名宿を結ぶ水運の要所として栄えました。 
 
当時、生活物資の多くが船町港を拠点とし、水門川の川船で運ばれていたといいます。  
しかし、鉄道や自動車の時代となった現在、昔の面影は、川燈台を残すぐらいになってしまいました。 
 
江戸時代は十万石の城下町として、大正以降は産業都市として発展してきた大垣ですが、大戦時の空襲により、国宝大垣城を含め、市内全域が焼け野原となりました。 
そのため、街の中には古い建物がほとんど残っておらず、わずかに私達が住んでいる船町地区に、戦火を逃れた明治時代から続く家々が現存する程度です。 
 
街の景観は、近代的な建物が多く、観光のために古い街並みを保存するという意識も非常に希薄な住民感情になってしまいました。 
しかし、最近では、大垣の町興しの一環として、俳聖松尾芭蕉の「奥の細道結びの地」として売り出そうと頑張っています。 
 
私はこの件について、20年以上前から先輩諸氏と様々な機会を通じ、街の中で提言してきました。 
市内には、様々な歴史的遺跡が多く存在し、それらを何とかしたいという気持ちで有志の方々と活動をしています。 
 
一昨年の6月には、船町湊に2棟のマンション建設が決まり、もうだめかと思ったこともありましが、市民の熱意と、街を代表する方々の努力に対し、マンション業者が理解を示してくださり、最終的は、1400坪もの広い土地を、大垣市が買い上げることで決着しました。 
 
この度、市会議において「奥の細道むすびの地整備構想」が了承され、いよいよ次年度から、本格的な整備がなされることとなりました。 
 
遅ればせながら、衰退した中心街の中で、何とか昔の面影を残している船町地区をこれからも守り続けるためにも、今回の決定は、今後の大垣市発展に大変良い結果をもたらすと思っています。 
これから10年、20年かけて、「訪れてよかった」と言われるような街になることを願っています。