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社長ぶろぐ|

大垣藩

我が街大垣は、織田信長の時代より遥か以前から、日本東西の交通の要所として重要視されてきました。 
 
日本地図をご覧になれば、日本列島の中で、敦賀湾から伊勢湾の間が最も狭くなっていることがよくお分かりいただけると思います。 
この狭い間に、江戸時代には東海道と中山道があり、現在では、東海道新幹線や名神高速道路を始めとする日本の大動脈が集まっています。  
 
大垣に程近い関ヶ原付近は豪雪地帯として知られており、例年、その雪の影響により、新幹線のダイヤが遅れることがあります。 
昨年の12月22日には、名神高速道路と名阪自動車道も大雪のため通行止めになり、年末の慌しい中、東京大阪間の荷物が一両日ストップし、各方面の物流に大きな影響を及ぼしました。 
 
時は遡り、慶長5年(西暦1600年)関ヶ原の合戦の際、西軍石田光成は当初、大垣城に入り、大垣の地で東軍徳川家康を迎え撃つつもりでいました。 
家康も、大垣城から北西に位置する岡山(現在の大垣市赤坂町・勝山)に布陣し、大垣での決戦に控えていたのです。 
 
しかし、光成は、決戦直前、城攻めの上手い家康を嫌って、10km西に位置する関ヶ原へと主戦場を変更し、これが後に「関ヶ原の合戦」と呼ばれる大きな戦となりました。 
 
合戦後、徳川幕府は、交通の要所となるこの地域において、大垣には戸田家、桑名に松平家、彦根に伊井家を置いて、西の大名に対する万全なる布陣を引きました。 
その後、300年という永きに渡り、徳川幕府による江戸時代が続いたのも、この地域を実質的に支配することができたというのが、その要因のひとつかもしれません。 
 
私共の近くには、戦国時代以降、様々な場面で重要となった城が多数ありました。
戦災などにより、当時のまま残っているのは犬山城のみですが、大垣城はもとより、岐阜城、名古屋城、小牧城、彦根城、長浜城など、新たに建て直されたお城も当時を偲ばせています。 
 
7年前には大河ドラマに合わせ、大垣城公園一帯で「決戦関ヶ原・大垣博」という一大イベントを開催しました。 
最近では、市長も大垣城を中心とした街づくりを考えておられます。